J-town Bombings
― 十条空爆 ―

―7― 原爆を落とした人々(1)

ネセサリー・イビル
ネセサリー・イビルとは英語で「必要悪」という意味ですが、この名前がついた一機のB29が広島の原爆投下作戦に参加していました。この機は原爆の記録を任務とし、カメラ班を乗せていました。今年(2011年)の夏、この時の乗務員のひとりが個人的に撮った原爆雲の写真を広島の平和資料館に寄贈するため広島に来て、被爆者の遺族に会ったというニュースがありました。
広島に原爆を投下したのはエノラ・ゲイという機であることは有名な話ですが、このエノラ・ゲイとはこの機の機長、ポール・ティベッツ大佐の母親の名前ということも有名な話です。長崎に原爆を投下したのはボックス・カーでこの機の名前の由来は、本来のパイロット、フレドリック・ボックに因んだBock's car(ボックの車)と言われています。どちらも「必要悪」に比べたら呑気な名前ですが、実はネセサリー・イビルは戦後になってつけられた名前で当時は名前がなく単に「91号機」と呼ばれていたようです。原爆を実際に投下した2機の呑気な名前と、このいかにも言い訳のような名前の違いは名前が付けられた時期の違いによるものと言えるのではないでしょうか。
よく言われていることですし、誰もが感じたことがあるのではないかと思いますが、この実際に原爆を落とした人たちに良心の呵責はないのか、反省の言葉はないのか、という疑問があります。こうした疑問に対して実際に回答をしている当時の乗組員の多くの言葉は「戦争を終わらせるために原爆は必要だった、原爆がなければ何万もの新たな犠牲者がアメリカにも日本にもあったはずだ」というまさに必要悪という見方だったような印象を持っています。はたしてこうした実際に原爆を落とした人たちはどんな人たちで、どんな気持ちでいたのでしょう。





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