J-town Bombings
― 十条空爆 ―

―6― 原爆を作った人々(2)

マンハッタンプロジェクト
リチャード・ファインマンというアメリカの物理学者をご存知でしょうか。ノーベル賞も受賞していますが、1986年、打ち上げ直後に爆発したスペースシャトル、チャレンジャー号の事故調査委員会に、あのアポロ11号のニール・アームストロング船長などとともに選ばれ、事故原因を記者会見ですっぱ抜いたことでも有名な人です。事故の原因となったOリング(打ち上げ用ロケットのジョイント部のパッキンみたいなもの)が低温では用をなさないことを、テレビ中継中に突然グラスの水を使って簡単な実験をして見せ、政府や委員会が政治的に隠したがっていた事実を暴露し事故原因の徹底解明に結びつけました。このエピソードが語るように、この物理学者は真実のみを求める堅物であるうえ権威嫌いで、さらには いくつかの自伝的な冒険談が物語るようにシャレ好きで人生を楽しむことに長けた、自由な精神に満ちた人だったようです。わたしは一時この人に関する本を読み漁り「物理学界のキースリチャーズ」という称号を個人的に与えさせていただきました(本人にとっては名誉ではないかもしれませんが・・・)。
このファインマンが、1943年、20代半ばでマンハッタン計画に下っ端のひとりとして参加しています。マンハッタン計画とは、1942年8月に発足されたアメリカ陸軍主導による原爆開発計画のことです。総指揮官はレスリー・グローブス少将で、前回登場したオッペンハイマーは、この計画の中で原爆技術開発の中心的役割を果たしたロスアラモス科学研究所の所長を務めました。この計画の全貌はアメリカおよびカナダ各地に研究開発施設が作られ、約12万人の科学者、技術者、軍人が動員されたという超国家的なプロジェクトと言えます。


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