J-town Bombings
― 十条空爆 ―

―5― 原爆を作った人々

ドクターストレンジラブ
スティングが1985年に発表したファーストソロアルバム『ブルータートルの夢』の中に「ラシアンズ」という歌があります。歌詞の内容は「冷戦という状況の中、ロシア人も同じ人間であるからには核戦争という愚行に及ぶはずがない。私はそう信じたい」という歌で、その歌詞の中に「オッペンハイマーの死のおもちゃ」という言葉が出てきます。「死のおもちゃ」とはもちろん原爆のことです。そしてこのオッペンハイマーが核兵器の開発者、「原爆の父」といわれている人物です。「原爆の父」というと、例えばスタンリー・キューブリックの映画『博士の異常な愛情』でピーター・セラーズが演じていたドクターストレンジラブとか、鉄腕アトムの生みの親、天馬博士みたいな人物像、いわゆる「キチガイ博士(マッドサイエンティスト)」という姿が浮かびます。
「ステッキのようにやせ細った長身」「ヘビースモーカで爪を噛む癖がある」「数ヶ国語を操り、哲学書を読む」「前衛的な詩を書き、左翼的思想を持った女性と恋に落ちる」。オッペンハイマーを語る話にはこうした描写が出てきます。まさにマッドサイエンティスト的素質が十分あるように思えます。さらに彼は、初の原爆実験が成功し砂漠にキノコ雲が舞い上がるとともに、あたりが夜明けのような眩しさに満ち溢れたとき、古代インドの叙事詩をつぶやいたといいますから、相当エキセントリックな人物だったことには間違いはないようです。

原爆の原理となる核分裂が発見されたのは、原爆が広島や長崎に投下されるわずか7年ほど前の1938年のことで、ドイツの科学者によるものでした。この発見の時点ですでに、核分裂の連鎖反応からは莫大なエネルギーが放出されること、そしてそれが軍事的に利用可能なことが理論的に推察されました。そしてこの発見がドイツにおいてなされたことが、原爆の開発に大きな拍車をかけることになります。
当時、ドイツは科学分野で世界一とみなされていました。このドイツで、驚異的な爆弾の材料となりえる核分裂が発見されたことは、世界中の科学者にとって大きな脅威となりました。ヒットラーがドイツの政権を握ったのは1933年で、この頃には大勢の科学者がドイツから逃れていました。この迫害から逃れてアメリカに亡命したユダヤ系の科学者たちにとってドイツによる新型爆弾開発は特に深刻な問題となりました。マンハッタン計画で重要な役割を演じた科学者の多くは、こうしたユダヤ系の科学者たちです。彼らにとっては、「ナチス・ドイツより先に原爆を作る」ことが至上命令となったわけです。

1939年ドイツはポーランドに侵攻し、ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発します。


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